乳幼児の表情認識能力が気になる昨今
賑やかなオリンピックのニュースがひと段落したと思いきや、デルタ株の猛威、感染者の急増、そしてパラリンピックと、目まぐるしくトピックスが代わってしまいました。日々、コロナ関連の速報を見かけるたび、不安や暗い気持ちが湧いてしまいそうになります。
検温、消毒、ソーシャルディスタンスなどなど、ニューノーマルな生活もすっかり定着したように思います。一年中マスクをすることに抵抗も減りました。この生活に慣れては、今後コロナが終息したとき、外でマスクをしないことが恥ずかしく感じてしまうのでは? などと、まだ察することも叶わぬ未来のことを考えたりしています。どうなることでしょう。
コロナ禍での生活は子ども達にもすっかり浸透し、おもちゃコーナーに検温や消毒ごっこのセットが並んでいると知って、何とも言えない気持ちになりました。そこでふと、コロナ禍で生まれた乳幼児は、おそらく家族以外の顔の半分を見たことがないのだろうな、と思いました。なんとも切ない、と思ってしまうのは、マスク生活以前を知っているからなのでしょう。
我が家では一歳児が日々暴れまわっているのですが、家族以外の顔は半分ないと思っているかもしれません。人の表情をどこまでわかっているのだろう、その能力にマスク生活がマイナスの影響を及ぼしているのでは? と、もやもやとしました。やはり教育・発達心理学、神経心理学的に誰しもが疑問を抱くところなのでしょう。調べてみると国内外でたくさん研究されていました。マスクで隠された養育者の顔よりも、マスクの他者の顔を長く見る傾向にある。欧米圏では口元の変化で感情を読もうとするため、マスクが発達の弊害となるのではないか、など、今後の考察に関心が湧くものばかりでした。
さて我が家の一歳児はどうなのか。マスク着用の他者と会う時、視線の先をじっくり見てみました。他者から微笑まれた時、保育園の先生が微笑んだ時、じっと目元を見てすぐに微笑んでいました。ということは、目元の変化だけで感情を読み取り、コミュニケーションができているのか…なるほど…などと考えたところで、きちんとした研究ではないのでなんとも言えないところです。
いつか外の世界がマスクしない人ばかりになった時、一歳児が人の顔のどこに注目するようになるのか、今から楽しみです。
(K.A)