子どもの話を聞くことの難しさ
~「偽りの記憶」論争~
「子どもの話を聞くことの難しさ」というタイトルから,おそらく「傾聴することの重要性」のような話なんだろうな,と思われる方が多いと思います。勿論,傾聴すること,相手の言葉を否定せずに,まずは耳を傾ける,という態度は,相手が子どもであれ大人であれ,目の前にいる人を一人の人として尊重する上で欠かすことが出来ません。
このブログでは,少し異なった角度からこのテーマに近づいてみたいと思います。ここで取り上げたいのは,見出しにもあるように「偽りの記憶」についての論争です。1980年代にアメリカ合衆国で,また1990年代には英国で,幼児虐待の事件が大きな話題になりました。話題の論点は,「子どもの証言が信用できるかどうか」という点です。当時,欧米では既に幼児虐待が蔓延しているという信念が多くの人々に共有されていました。一方,問題となった事件においては,幼児虐待が疑われたものの,子どもの証言に基づいて事実を確認した結果,証言を裏付けるような証拠が得られなかったのです。いったいなぜこのような事態が起きたのでしょうか?
~記憶の不確かさ~
記憶に関する著名な研究者にLoftusという心理学者がいます。彼女は,さまざまな実験をレビューして,事実とは異なる記憶を埋め込むことが可能であることを示しました。具体的には質問のなかに暗示を含めるのですが,対象者の2割程度が「偽りの記憶」を再構成することが示されました。こう書くと「自分の記憶が偽りだったらどうしよう!」と不安になる方もいるかもしれません。ここで強調しておきたいのは,「約8割の人には暗示を含めた質問を行っても偽りの記憶を埋め込むことは出来ない」ということです。とは言え,それほど人の記憶は曖昧なものなのです。
~記憶のメカニズム~
記憶のメカニズムは,1980年代に提唱されたモデルが今でも信頼おけるものとされています。記憶は,大きく長期記憶と短期記憶に分けられ,ひとたび長期記憶に送られた情報は忘却されることはありません。
例えば俳優の名前など「ここまで出てきているのに,思い出せない」という体験をしたことがある方は多いのではないでしょうか?なぜ,忘却されるはずのない情報を思い出せないのか?長期記憶は無限の容量がある倉庫なのですが,一つ一つの情報は,まとまりなく保管されているようなのです。そのため,「倉庫にはあるけど見つからない」という現象が起きます。つまり,思い出せないのは「忘却」のせいではなく「検索」の問題ということになります。
~「偽りの記憶」再び~
では,先ほど述べた事件における「偽りの記憶」はどのようにして生じてしまったのでしょうか。それは,子どもの証言を得ようとして行った尋問・聴取が,暗示として働いたせいだと考えられています。虐待を受けた子どもは,虐待する人物から口止めをされることがしばしばです。そのため,警察官や検事などの専門家が聞き取りを行う際,被害に遭ったことが疑われる子どものためを思って,「あんなことを言われたんじゃないか」「こんな風にされたんじゃないか」という質問の仕方をします。その聞き方が,暗示のように働いて,誤った記憶の源になってしまうということです。専門家は記憶の検索を手助けしているつもりが,質問に含まれる情報が子どもに記憶され,結果的にもともとあった記憶と区別がつかなくなってしまうのです。これが「偽りの記憶」と言われるものの成り立ちです。
~子どもの「司法面接」~
こうした研究が積み重ねられた結果,子どもの証言を得るためには,適切な聞き方をする必要があることが専門家の間で共有されるようになりました。それが「司法面接」といわれるもので,何種類かのプロトコルが開発されています。「司法面接」における質問の方法はいくつかありますが,「何があったか話して」「~についてもっと話して」「それから?」「それで?」「その後どうなった?」など,質問する側がなるべく情報を出さないことが特徴です。
「司法面接」の質問方法は,虐待に限らず,子どもの話を聞く上で役に立つものと言えるでしょう。大人と比べて,子どもは使用できる言葉の数も少ないですし,論理的にわかりやすく話すことも難しいものです。時間がないと,つい大人は言葉を補って「こういうことがあったってこと?」「こういうことを言いたいのね?」という聞き方(?)をしてしまいがちです。子どもの話を聞く上で,子ども言葉を否定しないことは重要ですが,「聞き手の情報を押しつけない」「話し手から詳しく聞く」質問の仕方を知っておくことは,「自分が知りたいこと,知っているつもりのこと」以上のことに触れるために役立つと思います。